【横浜カルバリーチャペル】 天の窓 |
2022年5月22日
「キリストにある成人、何歳?」 先月、民法が改正され、日本の成人年齢が18歳に引き下げられました。メディア等では、できる事やできない事、その注意点等が盛んに語られていますが、何をもって「成人」となり、「成人」と呼ばれるのか、という肝心な説明が見当たりません。まさか、単に時が経てば誰でも成人、という事だけではありませんでしょう。そこで、内閣府の広報公式ページを見ましたが、そこにも、父母の親権を離れ、ひとりで契約をする事ができる年齢、などの説明はなされていますが、やはり、何をもって人は「成人」となるのかは書かれていません。これでは、世界や社会が激動/変化する中で、「成人・大人」になるとはどういうことなのかを考える絶好のチャンスを逸しているように思えるのです。 聖書にも「成人」という言葉が出てきます。旧約聖書を経典とするユダヤ教では13歳で「バル・ミツバ」と呼ばれる成人式を行います。随分若いと思いますが、日本でも昔は13歳で元服すると(諸説あり)成人と見なされ、家を継ぐ事もできました。ヘブル書5章では、神の言葉を深く理解して悟り、善悪の区別/判断ができ、神の前に責任ある行動をする人を成人と呼んでいます。また、コロサイ人への手紙1:28では、「私達は、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くしてあらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは全ての人をキリストにある成人として立たせるためです」(新改訳)とあり、成人とは、単なる年齢ではない事がわかります。ユダヤ成人式の「ミツバ」とは戒律(律法/旧約聖書)の事です。即ち、神の言葉の前に責務ある行動と、自らの罪の責任が問われる歳、それが聖書が教える「成人」と言えます。 人に成ると書いて成人と言いますが、私は40年前の成人式で国語辞典を貰いました。社会の一員として成長した大人になるには、知識よりも心の糧である「聖書」の方が役に立ちましょう。今日、第二礼拝に多くの若者達が集いますが、私達は何をもって「キリストにある成人」なのかを考え、聖霊の助けによって、キリストにある人・まことの成人になろうではありませんか。 |