【横浜カルバリーチャペル】 天の窓
     
2021年12月26日

「除夜の鐘」

大晦日の夜を「除夜」と呼ぶのは、一年の暦(ごよみ)、即ち古い時の流れを除去するという意味があります。大晦日に蕎麦を食べる習慣も、蕎麦は切れやすいので、これを食し一年の厄を取り除くという事のようです。また108回打つことで知られる「除夜の鐘」。仏教では、人の心を煩わす煩悩は108あるとされていて、鐘がひとつ鳴る度に、煩悩がひとつずつ消えて行くように願うとされています。鐘は本来、年内に107回、そして最後の一回は新年に鳴らすという事ですが、そんなにうまくいかないようで、ちょっと人の人生と似ているような気もします。また、最後の一回は、新年に持ち越されるというユニークな習慣も、どこか空虚さが響き渡る音色を聞くと、人はどんなに努力しても、全ての煩悩を心から取り除く事はできないというメッセージのようにも聞こえてくるのです。調べてみると、仏教ではやはり煩悩は人の心から取り除く事はできないとなっていました。聖書では「煩悩」という言葉はありませんが、人の心を「煩」わすものを「罪」と呼び、その罪を人の心から取り除く事はイエスキリスト以外には誰にもできないというのがその教えです。

カナダや外国ではNew Year’s Day(元旦)は、カウントダウンや花火や爆竹、車のクラクションで迎えるお祝いやパーティーでしかなかったので、この日本人特有の、自らの心の穢れを数え、これを深く思いながら静かに新年を迎えるという心は本当に素晴らしいと思うのです。主に在って新年を迎える私達も御前に謙遜に自らの罪を痛み思い、悔い改めの祈りをもって迎えるべきでありましょう。しかし同時に、私達には、その私のどんな罪も、過去も、私の心を悩ます煩悩も、取り除き、聖めてくださる主がおられるという希望と喜びがあります。ですから、除夜の鐘ではなく福音の音をもって年を閉じたいと思います。「何も思い【煩】わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」ピリピ4:26-27