【横浜カルバリーチャペル】 天の窓
     
2019年11月10日

「 違反者講習 」

数か月前、免許更新の葉書が来て驚いた。そこには何と「違反運転者」の文字が!神の言葉を教え諭す牧師が違反運転者とは、情けなく申し訳ない話である。まず、講習場所の二俣川、神奈川運転免許センターにお務めの教会員に謝りに行った。罪人と同じで、自分が「違反者」という自覚など全くなく運転していて恥ずかしい限りである。そこで、この3年間を振り返ってみる事とした。

ご丁寧な事に、私はいただいた違反切符を大切に保管していて、記憶が蘇った。初めて通った町田市の道、信号が変わると前の2台が左折したので私もついて入るとバックミラーにあの青と赤のライトが!時間での進入禁止だった。「初めての道で、そんな小さな字読めません。前の車が入ったから…」と一応言ってみたが全然だめ。一番後ろの私だけ犠牲となった。でもそこにいた工事の人が、「ここはみな初めての人が捕まるんだよね」って励ましてくれたが、やはり撃沈であった。ならば、起こった事は仕方ない。あとはこの痛い経験をどう生かすかである。罪の道も、みな行くからと人について行っては赦されない。聖書を細かい字までしっかり読み、徹底して神に従う事が大切である。「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きくその道は広く、そこから入って行く者が多いのです」マタイ7:13。牧師はタダでは転ばないし、タダでは罰金も払わないのである。

事故は、今よくニュースで聞く「煽り運転」によるものであった。後ろから煽られて逃げ場を失った私は事故ってしまった。煽られた私がなぜ違反となったかは、実は煽った車による。それはサイレンを鳴らした救急車であった。全く気づかなかった。牧師の考え事とは恐ろしいものである。残りの2件は、誠に残念ながらコラム欄のスペース不足である… (^^) 。

私が気になったのは「違反者」であって「違反車」とは書かれていない事であった。違反を犯し罪を犯したのはこの私であって、車や他の誰のせいにする事もできない。無事、免許更新となったが「次の3年間、無事故無違反であれば今迄の違反記録は消えます」と言われ、喜びが一気に飛んでしまった。3年は長い…。講習を受け合格しても過去の事故/違反記録は残るとは。私の全ての罪の支払いを完済し「テテレスタイ」と言って下さるのはやはりイエス様だけである。感謝をもって安全運転に徹しよう!