【横浜カルバリーチャペル】 天の窓
     
2019年5月19日

「 I(愛)の欠落 」

聖書入門講座では、「罪とは常に自分が中心にある事です」と説明している。英語では罪を「SIN」と書くが、この字の通り、罪には、真ん中に「I」(私)がある。

日本の財務省も、2024 年に紙幣を一新すると、そのデザインが発表されたばかりであるが、面白いニュースが海外から届いた。昨年10 月、オーストラリア政府は、偽造防止策を強化した「革新的な次世代の紙幣」という触れ込みで新しい50 ドル紙幣を発行した。ところが流通後2か月程たって、その最先端の新紙幣に何とスペリングミスが3つもある事が判明した。中央銀行に当たるオーストラリア準備銀行によると、既に4600 万枚(約2000 億円相当)が流通しているとの事。

右の枠内、絵柄の一部となっている肉眼では見ることのできない文字「RESPONSIBILITY」の最後の「I」が抜けてしまっている。そもそもこの「レスポンシビリティ」とは、責任/責務/信頼性という意味でその責任や信頼に「I」(私)が落ちているのは、まるで現代社会を風刺しているかのように思えるのである。オーストラリア政府は、もはや回収不可と、このミスのある紙幣を本物として流通させると発表した。

私の中心に常に「I」(私)がある事も、私達の責任や信頼に「I」(私)がない事も、もはや偽物ではなく社会にまかり通っていて、これも回収不可なのであろうか。でも、そんな罪と欠けだらけの、偽物のような私を、罪も間違いもない主イエス様はどこまでも愛するがゆえに、私達のその「I」(私)を主の「愛」へと変えて下さったのである。

「愛は多くの罪をおおうものである」ペテロの第一の手紙4章8節