【横浜カルバリーチャペル】 天の窓
     
2019年5月5日

「 平和の君 」

先週、皇位継承後はじめて国民に語られた陛下のお言葉。その約半分は上皇陛下への敬意と感謝で、こう述べられた。「ご即位より、三十年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御心をご自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます」。そして、自ら上皇陛下の思いと歩みに国民と共に歩まれる事を述べられた。

上皇陛下が即位された平成の時代は、この国に戦争のない平和な時代であったが、阪神/淡路大震災や東日本大震災等、オウム地下鉄サリン事件やバブル経済崩壊等、困難な時代であった。そのような中で、「いかなる時も、国民と苦楽を共にされながら、その強い御心をご自身の姿でお示しになりつつ」と語られた上皇陛下のお姿に、私達は感動を覚えるのである。

BBC News はJapanese Emperor Akihito’s Human Touch という記事で、天皇(現上皇)は神格化された昭和天皇の息子であり、広島と長崎に原爆が落とされた時12 歳であったと伝えた。天皇は「国民統合の象徴」であり政治的発言は認められていないと述べながらも、陛下は革命家ではないが強固な平和主義者であり、国民に寄り添った天皇として愛された存在であったと、感動的な語りで伝えてくれた。その一例として、2015 年、安倍首相が「日本がいま享受している平和と繁栄は300 万人の戦死者のおかげである」と述べると、翌日、陛下は「日本がいま享受している繁栄は、国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識によるものである」と述べられた事や、東京都教育委員が「国家を斉唱する時には全教員を起立させる」と誇らしげに語ると、陛下は静かに、だがはっきりと「強制になるという事ではない事が望ましい」と述べられた事などを伝えた。

この記事を読んで思い浮かんだのは、東日本大震災直後、広い避難所を訪れた陛下ご夫妻が、床に膝をついて被災された家族を一組ずつ訪ねて話しかけられるお姿であった。それは保守層にはショッキングな光景で、天皇にあるべき姿ではないとの声も上がったほどであった。天皇でありながら、あえて自らを低くし、民と苦楽を共にして生きようとされた上皇陛下。私は、陛下のこの御姿に、神でありながら人となり私達の間に来られ、共に痛み苦しまれた「平和の君」なるキリストのお姿を見たような気がした。