【横浜カルバリーチャペル】 天の窓
     
2019年1月20日

「前へ」横綱の道

貴乃花以来19年ぶりの日本人横綱・稀勢の里が引退した。国技館での会見の冒頭、「横綱として、皆様の期待にそえられないのには悔いは残りますが、私の土俵人生において、一片の悔いもございません」と涙を堪えた。

新横綱として臨んだ一昨年春場所。12連勝後に日馬富士に敗れ土俵下に落ちた際、左大腕筋を痛め左腕の筋は断裂した。休場が囁かれる中、痛みを堪えて土俵に上り、千秋楽及び優勝決定戦を闘い、感動の逆転優勝に輝いた。しかし優勝の代償は余りに大きく、8場所連続休場を余儀なくされた。土俵に上がることも辛かったであろうが、それでも逃げずに闘った。どれだけ負けても、横綱稀勢の里は、決してけがを敗戦の理由としなかった。記者からけがについて聞かれても、暫く言葉を堪えた後、「一生懸命やってきました。けがをする前の自分に戻ることはできませんでした」とだけ語った。

中学卒業前に鳴門部屋入門を決めていた稀勢の里少年は、その卒業文集に「天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます」と記した通り、晩成の力士・稀勢の里は、土俵の上でも下でも自分に逃げず、努力に努力を重ねて辛抱し、天才力士達を次々に倒して横綱にまで登りつめた。稀勢の里が色紙に書いた好きな言葉は「前へ」であった。

この1/17も6434人の方が犠牲となった「阪神・淡路大震災」から早くも24年であった。更に同年のオウム地下鉄サリン事件など、多くの事件や災害が度重なった平成の時代に、稀勢の里は、たとえどれだけ辛く苦しくても、逃げずに、あきらめずに「前へ」進むことを私達に教えてくれた「平成日本」の横綱であった。二年前、稀勢の里に横綱を託した八角理事長の言葉、「日本中でこれだけ愛され応援された横綱はいなかった」が心痛い。

ご存知のように、横綱に降格はなく、引退以外に降りる道はない。従って、横綱になる力士はその地位に相応しい品格と抜群の力量が求められる。それはパウロが語った私達の姿と重なる所がある。「自分は既に捕えたとは思っていない。ただこの一事に励み、後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進んでいる」(ピリピ3:13)。まさに、稀勢の里の「前へ」の精神である。また、同1:27では「ただ、あなたがたはキリストの福音に相応しく生活しなさい」と命じている。この人生という土俵で、私達も一片の悔いもないように、キリストに相応しく最後まで「前へ」進もうではないか!