【横浜カルバリーチャペル】 天の窓
     
2018年12月30日

「 時の階段 」

一年を終える時には、誰でもその年を振り返って想うものであるが、平成最後の暮に、過ぎ去って行く一つの時代を振り返っていた。そんな時、新横浜「ラーメン博物館」の片隅にタイムマシーンを見つけたのである。

ご存知、通称「ラー博」は、「全国各地のラーメンを、飛行機に乗らずに食べに行ける」というフードテーマパークである。日清チキンラーメンが販売された昭和33年(1958年)当時の街並みを再現した鶴亀町・蓮華町・鳴戸町からなる館内は昭和ノスタルジーが感じられ、同館の従業員も「街の住人」の姿で働いている。即ち、この「ラー博タイムマシーン」は、時も場所も瞬間移動させてくれるのである。

出入口の片隅にあった読売新聞社製のタイムマシーン(販売機)でも、勿論「時」を売っているのである。しかし、それは単なる過去の時ではなく、「あなたの生まれた日」という私の時なのである。自分の過去を400円で買えるとは思いもしなかった。1960年10月10日の新聞を手にした私は、それが月曜日であった事を知った。一面は、当時の時勢を感じさせる「日韓関係復交・天皇観覧・労組等」の記事で埋まっていた。しかし特出した記事はなく、私はつまらない日に生まれたと思ったが、戦後15年の平和な日本を喜び感謝するべきであろう。面白かったのは広告で、当時の「週刊時事」20円、「漫画サンデー」40円と、漫画の方が週刊誌より高いのである。

北海道の有名な某ラーメンをいただいて帰りの階段を上ろうとすると、そこに「1階へ」ではなく「未来へ」と書かれてあった。どちらの時代にも生きた(ている)私は、自分はどの世界の人でどの時へ帰るのかと考えさせられた。以前から不思議に思っていたが、別れ際に「また後で」と言うと、それは未来の事で、私達は過去の事を「前」と言い、未来の事を「後」と呼ぶ。過去は見えるから私の前で、未来は見えないから私の後(うしろ)というのであろうか。高村光太郎氏が「僕の前には道はない、僕の後ろに道はできる」と言われたが、主にある私達には、道も時も同じく確かに私達の前にある。そして振り返れば、そこには私と共に歩まれたイエス様の愛と恵みの足跡が刻まれているのを見る。明るい日と書いて「明日」と呼ぶように、主にある私達は、やがてイエス様という道を、「未来へ」という天への階段を上り、本来の私が生きる世界へと帰って行くのである。もう数日で一年を終え、ひとつの時代を越える私達。主がいつもどこでもご一緒して下さる私の過去と未来を喜び感謝しつつ、明るい明日への時の階段を上ろうではありませんか。