【横浜カルバリーチャペル】 天の窓
     
2017年7月23日

「 いのちの手帳 」

先週の火曜日(7/18)、聖路加国際病院長であられた日野原重明先生が105歳で召天された。日野原先生は2000年の大和カルバリーチャペル泉チャペル献堂記念式典でも祝辞を述べられ、また今週行われる「ラブソナタ東京」のセミナーでも語られる予定であった。

日野原先生の「生きかた上手」は、120万冊のミリオンセラー。私達に、生きる事と死ぬ事の大切さを教えてくれる。先週、先生を偲びながら、先生が所属された日本基督教団出版の(聖路加病院は聖公会)「病むこと、みとること」を再度読んで、大いに励ましを受けた。

牧師の息子として牧師家庭に育ち、10才の時、病気で死にそうになった母を、駆けつけてくれた医者が救ってくれた事から、自分も医師になろうと思ったそうである。しかし、医師を目指した青年は京都大学医学生時代、結核にかかって半年間も高熱が続き、歩く事もできなくなった。この経験と、1986年に肺炎で自ら入院した経験を通し「医師である自分が病むことによって得た賜物がある。人の心がわかり、神の心がわかるようになった」と言われた。更に「病は人として大切な事を教えてくれる。だから病はすべてがマイナスではない。ニーチェは、人間は病む生き物であると言ったが、人は動物と違って、病む時、自分の姿を内に顧み、命について考え、人間らしい自己認識を抱かせる契機をもたらす」など、改めて多くを教えられた。

本の最後には、人の死と先生ご自身の死について語られていた。「生涯の様々な事件の中で最大の事件は『私は死ぬ』という事。そして、それは遠からず、自分に必ず来るという事を全ての人が知っているのです。人生の結論は死です。死は我々の終末であり、ゴールであり、目標です。だから、どこかに落っこちて行くようなものではないのです。我々の行くべき目標なのです。やがて死を迎える時、自分は生きていて意味があったと最後に言えるなら、そして、その言葉を愛する者や良き友と分かち合う事ができるなら、これは幸せな事です」。

先生が百歳を迎えられた時のNHKインタビューでの「私のスケジュール帳には、十年先の109歳まで予定が入っています」には驚いた。私達の命の手帳には、何が書き込まれているのだろうか。そこに病や試練だけでなく、神の恵みと共に、命の使命が、死という目標が、永遠が、書き込まれてあるだろうか。先生から見れば、私達はまだまだこれからである。「日野原先生ありがとうございました!」 シャローム