【横浜カルバリーチャペル】 天の窓
 
2017年5月28日

武井博 名誉牧師 著

 先週、ギデオン協会の方がいらして、聖書配布の重要性についてお話くださいました。日本は、他の先進諸国に比べて、極端にクリスチャンが少ないことは、周知の通りです。ところが聖書の発行部数においては、何と、日本は、アメリカ、イギリスに次いで世界第三位なのです。それだけではありません。日本の大学のうち10校に1校はキリスト教系です。また、神奈川県内の私立中学校の入試の偏差値を見ても、トップは何と偏差値が75の聖光学院ですし2位は73の栄光学院、70のフェリス女学院と続きます。ということは、それだけキリスト教系である学校が高い評価を得ているということです。
 そう言えば、そもそも若者たちが結婚式をキリスト教式で挙げるということも今や常識ですし、また、若者たちの装身具にしても、十字架のペンダントを身につけることは、それこそ、モダンなファッションになっています。ところが、キリスト教を信じ受け入れる人が少ないのはなぜなのでしょうか?
 日本を代表する文学者の夏目漱石も、「三四郎」では聖書の一文を用いたりしていますが、キリストを信じ受け入れるようなことはありませんでした。また、太宰治なども、塚本虎二らの無教会派の影響を受けていたと言われますが、最後は愛人と入水自殺をしてしまいました。そうなれば、やはり純粋な意味で日本でクリスチャン作家と言えるのは、私たちの敬愛する三浦綾子さんぐらいのものと言っても言い過ぎではないと思います。
 このように、日本人は、知識として、あるいは、教養として聖書は読んでも、キリストに自分の人生を委ね、従うということはしないというところがあるようです。
 今の日本人が、特に、儒教的な道徳心や仏教的な無常観などにとらわれて、どうしてもキリスト教には馴染めない、ということもないかと思われます。それなのに、キリストに自分をすべて明け渡して委ね切る、ということが少ないのはどうしてなのでしょうか?
 そのことをあれこれ詮索するよりも、一番参考になるのは、アメリカの高名な伝道師であったムーディの言葉かも知れません。こういう言葉です。「百人のうち、一人が聖書を読み、九十九人はクリスチャンを読む。」!!ということになれば、どうやら、既にキリスト教徒となっている私たちが、周りの人々に、“ああ、これがクリスチャンなのか!”と、いい意味で具体的に“証し”を立てていくことが、キリスト教を広める上で、やはりいちばん大切なことなのではないでしょうか?!さあそれではいよいよ、私たちの責任は重大、ということになります。 頑張りましょう!!