【横浜カルバリーチャペル】 ぶどうの木
 
2016年9月25日

武井博名誉牧師 著

 リオデジャネイロは、オリンピック、パラリンピックの開催地として世界中にその名が報道されて、「リオ」と言うだけで、「あああのキリスト像のそびえ立つあの大都市だ」と、親しまれるようになっていると思います。その同じ「リオ」で2012年に行われた国連の「持続可能な開発会議」の講壇で、ウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカ氏は、次のような演説を行いました。「ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしようか。同じ質問を別の言い方でしましょう。西洋の豊かな社会が持つ傲慢な消費を、世界の70億~80億人の人ができると思いますか。そんな原料がこの地球にあるのでしょうか。」(「ホセ・ムヒカの言葉」双葉社)。
 この総人口300万人しかいない小国の大統領の演説は、現代文明、あるいは人類のあり方を根本から問う、鋭い警句を含んでいます。ホセ・ムヒカ氏は、さらに続けました。「なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのでしょうか。マーケット経済の子どもたち、資本主義の子どもたち、つまり私たちが、間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会をつくってきたのです。このグローバリゼーションがあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。」
 ムヒカ氏は、人口300万人の小国の元大統領として、今も、きわめて質素な生活を送っているそうです。そう言えば、私は以前あるテレビ番組で聞いた、日本向けのキャット・フードの原料となる魚を輸出用に箱に詰め込んでいる若い女性の言葉を忘れることができません。記者が質問しました。「この魚はあなた方が食べることもあるんですか?」すると、その女性は、言いにくそうにこう言ったのです。「私たちには、こんな高価な魚は食べられません。」!!これが、日本向けのキャット・フードの材料となる魚を輸出している人たちの言葉です。私は、日本の豊かさの別の面を見せられたようで、忘れがたい衝撃を受けました。特に、食品について言えば、例えば、わが国のカロリーベースの昨年の食料自給率は、39%です!6割以上を輸入に頼っているのです。そして、家庭用品の消費にしても、これでもか、これでもかとコマーシャルが洪水のごとく流され、消費が奨励されています。まだ使えるのに、古い流行おくれのものはダメ、と。
 イエス様は言われました。「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。」(「マタイ」6:25~26)。このみ言葉に従って、ただただ、時流に流されることなく、生かさせていただきましょう!ハレルヤ!