【横浜カルバリーチャペル】 ぶどうの木
 
2016年8月28日

武井博名誉牧師 著

 わが国で8月と言えば、終戦記念の月であり、またお盆の月でもあります。そもそも、お盆というのは、この世を去った先祖の霊がその期間帰って来る、という信仰の上に成り立っているものです。ところが、ドイツの出身で日本の禅宗の僧侶となっているネルケ無方という人は、こう言っています。「2500年前に生きていた釈尊(お釈迦様)は死後のことについて、何も語っていない。それはなぜかといえば、仏教がこの世での生き方に尽きるからだ。仏教の目標は、正しく生きることであり、死後の世界には、関心がない。・・・・ところが、多くの日本人は『お盆にはご先祖様が戻る』と信じている。そういう信仰こそが仏教だ、と思っている。」(「なぜ日本人はご先祖様に祈るのか」ネルケ無方著 幻冬舎)。
 そう言えば、2500年前に生きていた釈迦は、そもそも、30歳の時に菩提樹の下で座禅を組んで悟りを開き、仏陀となったので、死んでから「仏」になったのではありません。ですから、釈迦は、いよいよ死期が迫る中、修行僧たちを前にして、こんな言葉を残しているのです。「汝ら修行僧たちは、怠ることなく、よく気をつけて、よく戒めをたもて。その思いをよく定め、統一して、おのが心をしっかりと守れかし。この教説と戒律とにつとめはげむ人は、生れをくりかえす輪廻をすてて、苦しみも終滅するであろう。」(「仏陀の生涯」中村 元著 岩波書店)。
 「輪廻」というのは、インドのヒンズー教の宗教思想で、人間は死んでも、またさまざまな動物などに姿を変えて、延々と生き死にを繰り返す、という考え方です。そもそも、釈迦はこの生き死にを繰り返すという「輪廻」の思想を否定して、この世で悟りを開き、新しい仏の道を切り開いた人なのです。ですから、そもそも仏教は、死後の世界に生きる、などという考え方を断ち切ったのです。
 ケルネ無方さんは、言います。「ところが、多くの日本人は『お盆にはご先祖様が戻る』と信じている。そういう信仰こそが、仏教だと思っている。」「人が亡くなったら、まず仏になる。仏なのに腹が減ることもある。おかしな話だ。欲望がない『仏』に、なぜ仏飯を供えなければならないのか。霊魂がないはずなのに、なぜお盆に帰ってこなければならないのか。」
 その点、キリスト教は、はっきりしています。キリストを信じる人たちの霊は、即、何の苦しみも悩みもない天国に行くことが出来、愛の主、イエス様のもとで、平安に過ごすことができるのです。また、「再臨」の時には、イエス様が雲に乗って天から来られ、地上の信者はすべて天に携え上げられ、死者も栄光の体を与えられるのです。ありがたいことに、そのことが聖書の中ではっきりと約束されているのです。